オーガナイズドセッション概要

今大会においても例年同様にオーガナイズドセッション(OS)を行います。

  • 【価値中立性への志向を捨て実践の葛藤に飛び込む】公募3件
  • 【身体とナラティブの相互作用】公募なし
  • 【プロジェクションの展開と新たな視座】公募なし
  • 【違和感ともどかしさの認知科学】公募なし
  • 【ローカルエコーチェンバーのステアリングに向けた認知研究の社会実装】公募なし
  • 【ポスト学習時代の認知科学】公募なし
  • 【ナラティブで切り拓く認知研究の新たなアプローチ】公募なし
  • 【続きはSNSで:研究コミュニティのこれからを考える】公募件数:2件
  • 【アイデア生成を取り巻く文脈を再考する――「いいこと思いついた」を手がかりとして――】公募なし
  • 【音楽知覚認知を通して考える人間の学習と熟達化】公募件数:2件
  • 【生成 AI と創作活動】公募なし
  • 【「仕上げる」を捉える認知科学:演奏における人と人・人と環境の関わり合いから】公募なし
  • 【遊びの場のデザイン:人と環境の相互作用に着目した実践的アプローチ】公募件数:2件
  • 【デザイン・創造研究の現在から未来へ】公募件数:3件

  • 【価値中立性への志向を捨て実践の葛藤に飛び込む】─ 公募2件

    認知科学における状況論は,人々の認知過程をフィールドにおける実践を通して理解しようとしてきた。
    実践の現場には,複数の層において対立・矛盾をはらむ社会的関係が往々にして見られる。研究者がそうしたフィールドに入ることで彼らはそこでの対立的な社会関係に避けがたく巻き込まれる。
    社会的対立や矛盾について,状況論の従来のアプローチではどう扱われていたか。
    エンゲストロームは,活動の三角形モデルを媒介物として導入し,現状を自覚化してもらうことで組織内の矛盾の止揚をうながそうとした。また,ラトゥールのANTは,媒介物も含めた社会連関をフラットに記述しエージェンシーや権力性の起源と翻訳の経路を丹念に追った。
    これらの研究において,研究者自身は実はそれぞれのフィールドに対して一定の距離をもち,超然としていたように思われる。つまり,方法論的な「中立」を志向していたのではないか。
    しかし,フィールドでの実践に内側から深くコミットするほど,中立は困難であることに気づかされる。研究者すらフィールドにおいて「何者か」であらざるをえないのである。
    このオーガナイズドセッションは,認知科学という学問が価値に中立ではありえないという前提に立ち,葛藤をはらむさまざまな実践に関わる中でいかなる記述や分析が可能なのかを集合的に考えることを目的とする。


    【身体とナラティブの相互作用】─ 公募なし

    本OSでは,身体的自己(ミニマルセルフ)と物語的自己(ナラティブセルフ),そしてそれらの相互作用について科学的に検討することが目的である.
    自己は,身体的自己(ミニマルセルフ)と物語的自己(ナラティブセルフ)に大きく分けられることが提唱されている(Gallagher. 2000).身体的自己は「今ここ」にある感覚運動的および内受容的情報に根差した自己であるのに対して,ナラティブセルフは時間的に拡張されたライフストーリー,ひいてはアイデンティティを形成する自己だといえる.
    興味深いことに,身体的自己とナラティブセルフは相互に影響を及ぼしあうと考えられている.特に,ナラティブセルフがトップダウンに身体的自己に影響を与えるプロセスは,リハビリテーションなどの支援で着目すべきであり,ポジティブなナラティブセルフを持つ症例のほうがリハビリテーション治療の予後が良いということが知られている.実際に,そのようなナラティブセルフの獲得を目指すナラティブ・メディスンと呼ばれるアプローチも提唱されている.しかしながら,このことはあくまで逸話的に知られているにとどまっており,科学的根拠が極めて乏しい.
    そこで本OSでは,リハビリテーション,現象学的,認知脳科学などの知見を持ち寄り,身体的自己,ナラティブセルフ,そしてそれらの相互作用について科学的に検討する.


    【プロジェクションの展開と新たな視座】─ 公募なし

     これまでの大会でプロジェクションに関するオーガナイズド・セッションに多くの参加者が集まっていたことからも、本学会におけるプロジェクションへの関心は高いことがわかる。プロジェクションの提唱者であり研究を牽引してきた鈴木宏昭氏が逝去後も、この研究領域を広く普及させ認知科学の一分野として発展させていきたい。そのためには、これまでプロジェクションとは直接関わりのなかった研究者がおこなってきたこれまでの研究に対して、プロジェクションがどのように展開できるかを議論・検討する機会を設ける。
     「心的表象がいかにして世界の中の何かを『意味する』ことができるのか」ということは、認知科学の重要な問題の一つである。これまでにもさまざまな認知モデルが提案されてきたが、プロジェクションは、主体が積極的に世界に意味を与えるという、内から外への能動的な認知プロセスを強調する点で従来の認知モデルとは異なる。これまでの議論では、プロジェクションという概念を用いてさまざまな認知現象を説明してきた。今回は昨年のOSに続く第二弾として、これまでプロジェクションという概念とは無関係に行ってきた自身の研究に、プロジェクションを接続することで、プロジェクション・サイエンスの新たな展開をはかる。企画者が、プロジェクションと関連すると考えられる研究をされている方に登壇いただき、プロジェクションという考え方からそれぞれの研究を照射することで、それぞれの研究の新たな展開とプロジェクションのさらなる可能性について、これまでにない視座から考える。


    【違和感ともどかしさの認知科学】─ 公募なし

     違和感ともどかしさの認知科学 認知科学は、行動主義心理学が内観を否定して外的観察が可能な刺激とそれに対する生体の反応の関係のみに注目する方法をとることに異議を唱える形で生まれた。しかし、近年の認知科学は、自然科学主義に則る類の研究が大勢を占め、主観を以てしかアクセスできない「内なる認知」の姿を描き出すことをよしとしない風潮が主流になりつつある。客観的に観察・記述できることや、普遍的に成立する知性・知能のありさまは、人が「生きるアクチュアリティー」の重要要素ではあるものの、同時に、ほんの一部であることも確かである。

    さらにいうならば、認知科学だけの問題ではないが、対象となるものごとをことばで表現し論じることが学問の使命であるという認識(それ自体は概ねよいとは思うものの)からか、客観的・主観的観察に基づいてことばで表現・記述しやすいものごとだけを対象に認知科学が行われてきたことも事実であろう。その認識のみではいわゆる「知の暗黙性の壁」を越えることは難しい。

    認知科学は生きることに資する学問でありたいとするならば、主観的な観察をも許容し、個人固有や状況依存の認知の姿を炙り出すだけにとどまらず、暗黙性の高い知性・知能の姿(たとえば身体知はその典型事例であろう)にも照準を当てた探究に乗り出したいものである。

    構成的な研究方法論は、研究哲学・工学・社会科学だけではなく、認知科学においてもこれまでにない新たな観点を与えてくれる。構成的方法論のひとつであるFNS理論(中島・諏訪・藤井, 2008)によると、ひとは世に出て環境・場に働きかける行為をするからこそ、ものごとに主体的に出逢い、その出逢いに際し臨機応変に新たな気づきを得ることができ、その気づきを経験や勉強で培った知識・知恵で深い思考につなげ、さらなる行為に出るための意図・目標をみつけるという構成的サイクルを為すことができる。

    ここで「気づき」には多様な種類がある。違和感、疑義、感触、疑問、問題点、仮説、問題意識、目標などである(暗黙性の高い順番に並べてある)。たとえば、いままで見過ごしていた変数の存在に気づいて、「あ!そうか」と腑に落ちるという認知は、明確に自覚でき、ことばになりやすい類の、暗黙性の低い「気づき」である。その種の認知はこれまでも認知科学の対象であった。

    本OSで対象にしたいのは暗黙性の高い「気づき」である。上のリストでいえば、違和感、疑義、感触などがそれに当たる。OSタイトルに含まれる「もどかしさ」も同種である。学問対象としてクローズアップしたいが故にあえて「気づき」というわかりやすい文言を用いているが、違和感、疑義、感触は、本人でさえも気になってはいるが明確には語れない、いわば、気づいたり腑に落ちたりする現象の「夜明け前の認知」と言ってもよい。

    3つくらい例を挙げよう。
    (1)この場所はかつて来たことがあるように思うのだが、論理的に考えれば初めての場所であるというデジャブ体験はとても「もどかしい」。
    (2)アスリートが、自身が大切にする幾つかのポイントをすべて満足するように身体各部位を動かしているはずなのに、今日はなんだか「しっくりこない」と体感する。
    (3)初めてのカフェに入り陣取ってみると、これまでこんな感覚で建築空間のなかに佇んだことはないが居心地がよく、しかしその感覚を表現することばを持たないというような「身体的直観」がある。
    「」で表現された認知の裏には、これまでの認知科学・心理学が未探究の知性・知能の姿が潜んでいるに違いない。

    本OSでは、従来の認知科学があまり扱うことがなかった生活・世界の諸領域から、「違和感」や「もどかしさ」の事例だと仮定できるものごとを持ち寄り、それらがどのような知性・知能なのか、そしてどのような研究方法論が適しているかを議論したい。特筆すべきポイントは、これまで研究題材として盛んに取りあげられた分野・領域を超えて、ひとの生き様や生活・世界の実態を色濃く体現しているような事例を奨励するという点である。
    参考文献:中島秀之,諏訪正樹,藤井晴行.(2008).構成的情報学の方法論からみたイノベーション, 情報処理学会論文誌, 49(4),1508-1514




    【ローカルエコーチェンバーのステアリングに向けた認知研究の社会実装】─ 公募なし

    インターネットの発展に伴い,社会に流通する情報への信頼が揺らいでいる.この信頼の揺らぎは,エコーチェンバーと呼ばれる集団間の断絶と関連している.エコーチェンバーは社会⼼理学的な現象であり,突き詰めれば,⼈間の認知システムと情報技術の関係を起点として発⽣した問題と捉えられる.ただし,こういった実社会の問題への処⽅に認知科学が果たす役割は,これまでそれほど⼤きいものではなかった.この問題意識から,2024 年度⼤会 OS にて,同オーガナイザにより「ローカルエコーチェンバーのステアリングに向けた認知研究」が企画・開催された.当初の想定を覆し,この開催では,多様な参加者で会場が埋まり,活発な議論が⾏われた.その結果の⼀部は『認知科学』にて誌上討論としてまとめられる予定となっている.本 OS は,2024 年の議論を引き継ぐものである.オーガナイザらによる認知科学の知⾒に基づくプロジェクト研究(ローカルエコーチェンバーをステアリングするトラスト調和メカニズムの認知的検討,R5 年度 RISTEX 採択課題)の進展を報告しつつ,認知科学の研究成果を社会実装する可能性を学会員と議論するものである.


    【ポスト学習時代の認知科学】─ 公募なし

    学習は、心理学、神経科学、認知科学の基礎的な研究対象の一つであった。しかし、昨今の機械学習の技術的な発展や社会での応用に見て取れるように、すでに学術的な基礎研究の手を離れ、産業界での研究開発のフェーズへと移りつつある。学習に関する基礎研究の必要性はこれからもなくならないと考えられる。しかし、基礎研究の軸足は、学習だけでは説明が困難な認知過程へと移ると予想される。本企画では、そのような過渡期にあたる現在を「ポスト学習時代」と呼び、学習のみではまだ実現や説明ができない“次に解明すべき認知過程”に向けた方向性を模索すべき状況だと捉える。そのような認知過程に関連するキーワードとして、理解、洞察、創造性、多義性、発達、意図、意識、統合性、全体性など(これらに限定しない)が挙げられるだろう。
     本企画では、“学習の次”に研究すべきと考えられる認知過程に焦点を当て、次世代の認知科学研究の方向性を議論する。この企画は学習を排除するのではなく、「学習だけでは説明できない側面を持つ認知過程」に焦点を当てる。学習をある種の最適化による関数近似として捉えるならば、そうした関数近似や最適化では説明できない認知現象が、“学習の次”になり得るだろう。


    【ナラティブで切り拓く認知研究の新たなアプローチ】─ 公募なし

    「物語」や「語り」を意味する「ナラティブ」を用いた研究がさまざまな研究分野で注目されている。社会構成主義的な立場から、ナラティブには人間の内部に備わる心的過程あるいは外界に対する認識過程が表出すると考えられている。したがって、人間の認知を探究するためのツールとして高い潜在能力をもつ。しかし一方で、質的データであるナラティブをいかにして認知科学のような量的研究で取り扱うかという難しい課題がある。この課題を乗り越えて、ナラティブを利用した認知研究の方法論が確立されれば、認知の探究に新たな扉が開かれるだろう。
     本OSでは、ナラティブを用いた新たな認知研究およびその関連研究の創出に取り組む先進的な研究者をさまざまな分野から招き、各分野の探究におけるナラティブの可能性や解決すべき課題などについて講演していただく。さらに、分野を超越した議論を通して、ナラティブを用いた認知研究の新たな一歩を導く契機がもたらされることを期待する。


    【続きはSNSで:研究コミュニティのこれからを考える】─ 公募件数:2件

    研究コミュニティとしての学会や、そこに参加する研究者のありかたは、近年、変化しつつある。 会員組織を持たずにオンラインで刊行する学術誌ができているし、研究者は実践のフィールドに出て、さまざまな人たちとコラボレーションするようになってきた。そこで、研究コミュニティとしての学会や、研究者のありかたを再考する場として、このオーガナイズド・セッションを企画する。
    日本認知科学会では、『認知科学』の特集として2005年に「認知科学オントロジー」、2007年に「社会は認知科学に何を求めるか」を刊行しているほか、冬のシンポジウムとして2008年に「Web時代の学会の役割: 総合学術辞典はいかにしてWikipediaを越えるか」、2021年に「知の専門家/専門性のこれから」を開催しているが、このオーガナイズド・セッションではこれらの企画を振り返りつつ、これからの社会における学会や研究者のありかたについて議論したい。特に、近年の生成AIの急速な発展や、SNSのようなインターネット上のつながりを、これからの研究コミュニティにどのように活用していくか、市民や一般社会との橋渡しや協働をどのように実現していくかについて議論するとともに、このような場をSNSで続けていくための方策を検討する。


    【アイデア生成を取り巻く文脈を再考する――「いいこと思いついた」を手がかりとして――】─ 公募なし

    創造的なアイデアが生まれる認知プロセスは主に拡散的思考課題などのアイデア生成課題を用いて検討されてきた。こうした課題では、通常、協力者本人がそうしたいかどうかに関わらず、「決まった時間内にできるだけ多くのアイデアを考えること」や「創造的なアイデアを考えること」を求めることになる。こうした課題設定の中で、アイデア生成に関する個人特性、促進・阻害要因などの解明が進んでいる。一方で、より日常的な場面に目を向けてみると、創造的なアイデアは、必ずしも本人が意図的にアイデアを生み出そうとしている活動の中のみから立ち現れるわけではない。例えば、楽しい活動に取り組んでいる中で何気なく行っている行動や周囲の状況などがきっかけとなって、アイデアが生まれることもある。こうした場面として、本OSでは「いいこと思いついた」という現象に着目して議論する。「いいこと思いついた」という現象は、自身の行為や心的な状態と、周囲にある他者や文脈、環境とのインタラクションによって意図しないところで生まれてくるものであり、日常生活におけるリアルなアイデア生成や創造活動を捉えるにあたって、ヒントを与えてくれるものと考えられる。近年、創造活動を環境や関係の中でのひらめきとして捉える議論も活発になっている。文脈や環境の中での「いいことを思いつく」という現象について議論し、それらを実証的に捉える方法やその視座について理解を深めることを目指す。

    【音楽知覚認知を通して考える人間の学習と熟達化】─ 公募件数:2件

    本OSでは、音楽における学習や熟達化を中心的なテーマとしながらも、音楽以外の領域(例えば、視知覚、運動など)における学習や熟達化に関する研究者も招き、領域や立場・主張の異なる研究者との議論を通して、全体で「人間における学習とは何か」という問いを考える場とする。

    人間の学習や熟達化という認知科学にとっても普遍的なテーマについて、音楽知覚認知の研究という視点から考えることで、音楽に固有な要素・要因があるのかどうか、もしあるとして、それが他領域での知識獲得や発達とどのように関連するかなどについて、これまで音楽知覚認知を研究対象としてこなかった研究者も交えて議論することを目的とする。

    提案するOSの企画者はこれまで本学会に所属しながら音楽知覚認知に関する研究を行ってきた、小堀聡(龍谷大学先端理工学部)、正田悠(京都市立芸術大学音楽学部)、松永理恵(神奈川大学人間科学部)の3名であり、まずこの3名が発表者となり、音楽における学習や熟達化に関する講演を行う。一方、一般からの公募による発表は2名程度を予定している。

    人間が音楽を聴いたり、演奏したりする過程において、知覚、運動、記憶等の様々な認知機能が複合的に関わっていることは明らかである。そして、その機序はかなり複雑であるにしても、次第に明らかになりつつある。しかしながら、音楽を聴き、演奏するという体験は個人的で主観的側面が強いと同時に、社会や文化などの環境に適した学習や熟達化の結果であるという面もある。本OSでの発表においては、実験室実験内で観察される学習や熟達化の知見だけではなく、広く社会や文化の中で観察される知見についても報告する。

    こうした観点から、以下のとおり3名の発表者が自身のグループが行ってきた研究をまず紹介する。
    まず、小堀は演奏学習の個人的な側面に着目し、一人称研究の手法によりそれを明らかにしようとしている。また、その際、アイトラッカーを用いて視線位置および瞳孔径を測定することで、意識下のデータを援用し、客観性を高めることも試みている。発表ではそれらの研究実践例を紹介する。
    また、正田は演奏者の身体と認知のあり方に着目し、演奏の熟達者である音大生を対象に、演奏者の身体・認知スキルがどのように発達しているのか、最近得られたデータや構想も含めて提示する。
    一方、松永は「いかに聞き手が音楽スキーマを獲得していくのか」という問いを文化差と発達の観点から追究している。本発表では、“母文化の音楽らしさ”の感覚がどのような発達的変化を経て獲得されていくのかを横断的に調査した実験データを報告する。
    さらに、一般から公募により2名程度の発表者が自身の研究について発表し、そのあと、フロアーを交えて全体的なディスカッションをする予定である。その際には、音楽以外の他の認知研究との関連性についても議論が深められるようにする。
    企画者3名の発表と公募2名の発表のあとに全体討議を行う。
    発表者1名につき20分(15分発表+5分質疑)とし、最後の全体討議は20分とし、全体で120分を予定している。


    【生成 AI と創作活動】─ 公募なし

    生成AIの目覚ましい進歩により,人間の認知活動のあり方が大きく影響を受けている。その状況を受けて,『認知科学』第31巻2号 (2024年6月発行) では,誌上討論「生成 AI と創作活動(企画:髙木幸子・大澤博隆)」が行われた。そこでは,まず,生成AIを創作に活用していることを公言している2名のSF作家に対してインタビューが実施され,そのまとめ記事をターゲットとして,6組7名の執筆者からコメンタリー論文が寄せられた。多様な背景をもつ執筆者から様々な論点が提供されたことから,本OSでは,それらの論点を受けて,生成AIと人間のつき合い方,特に,創作活動において生成AIといかに「協同」することが可能かを議論する。

    【仕上げる」を捉える認知科学:演奏における人と人・人と環境の関わり合いから】─ 公募なし

     人間にとって、他者との関わり合いや環境の変化への適応は避けては通れない課題である。認知科学においても、人と人との共同行為や、人の環境認知は探究すべき重要な課題であると考えられる。本OSでは、演奏における「仕上げる」プロセスに着目し、練習から本番に至るまでの奏者間の関わりや、奏者と環境との相互作用、さらには奏者自身が課題達成を目指す過程を捉え直す。これにより、人と人・人と環境の関わり合い、時には人が自分自身の課題達成と向き合うプロセスに関する研究について、認知科学における領域横断的な視点から議論する場を設ける。
    私たちは様々な場面で「仕上げる」という表現を用いる。これは、何かを完成させるプロセスや、その最終段階を指すことが多い。「仕上げる」ことの背景には、単に作り出すものや課題達成の質を向上させていく意味合いだけでなく、それを行う人の体調や心理状態などを整えることや、環境を適切に調整するという側面も含まれると考えられる。さらに、「仕上げ」は必ずしも個人で行われるとは限らず、複数人が協力して課題を達成することや、個々の体調や心理状態を複数人で確認・調整する場合もある。 本OSで取り上げる演奏においては、「仕上げる」過程という表現を度々用いる。この「仕上げる」過程は、演奏の質を向上させることを指す場合もあれば、演奏する奏者自体の体調や心理状態を整えることを指す場合もある。さらに、合奏のように複数の奏者が関わる場合には、奏者間の調整が加わり、人と人との間での調整についても考える必要がある。また、日常的に演奏の練習を行う場と本番演奏の場(例:ホールなど)が異なることも多いため、環境との関わりも「仕上げる」過程の重要な要素となる。 他者と協力して課題達成するプロセスや、環境との調整を通じた課題達成の背景には、様々な認知プロセスが関与している。本OSでは、演奏を「仕上げる」過程を切り口とし、領域横断的な視点から議論を展開することにより、演奏にとどまらず、人と人との共同行為や人の環境認知に関する理解を深める契機となることを期待している。
     以上をふまえ、本OSでは演奏者が本番に向けて練習を重ねる中で、演奏そのものの質を高めることや、奏者自身/複数の奏者の体調や心理状態を整えてより良い状態で演奏に臨むことを目的とした「仕上げる」過程に着目し、人と人・人と環境の関わり合いに関する研究を、認知科学の領域横断的な視点から見つめ直す。さらに、実践家の視点やフロアの参加者との意見交換をふまえ、認知科学の枠組みで「仕上げる」過程を捉えることで見えてくる、人と人・人と環境の相互作用、さらには、人が自分の課題達成と向き合うプロセスに関する課題や今後の展望について議論を深めたい。


    【遊びの場のデザイン:人と環境の相互作用に着目した実践的アプローチ 】─ 公募件数:2

    本OSでは、こどもの遊びや相互の関わりが生まれる場を作ることを、人と環境の関係性を調和し具体化する広い意味での「デザイン」と捉える。このデザインは、デザイナー、アーティストだけでなく、遊ぶ主体であるこども自身、研究者、保育者などの多様な立場の人々が関わることで形作られるものである。遊びの場のデザインは遊具やおもちゃ、空間の提供のみではなく、そこに関わる人と環境の相互作用によって構成される。近年の認知科学はアートやデザインに対して認知、創造性、ワークショップなどにおける共同性などの観点から研究をおこなってきた。本OSでは遊びの場のデザインを、多様な立場の人を巻き込んで起こる相互作用を持続させるプロセスとして捉え、実践的な取り組みからその可能性を検討することを目指す。

     企画者による趣旨説明の後、話題提供3件、公募発表2件、最後に総合討論を予定している。企画者の西尾はこども園でのアート実践について、研究者、アーティスト、子ども、保育者の相互作用の観点から事例検討を行う。土方はその実践に関わるアーティスト自身による考察を行う。炭谷は、こども園の園庭でのこどもの遊びについて、園庭のレイアウトの観点から検討する。こどもの遊びの場のデザインやアートに関わる実践的な取り組みに関する発表を2件募集する。発表者、参加者と共にエコロジカルな観点から、相互作用が持続するプロセスとしてのデザインやアートの可能性について、議論を行いたい。

    西尾千尋(甲南大学):こども園でのアート実践における研究者、アーティスト、子ども、保育者の相互作用の分析
    土方悠輝(お茶の水女子大学こども園):こども園でのアート実践におけるアーティストの観点からの考察
    炭谷将史(花園大学):こども園における園庭での遊びとレイアウトの実践研究
    公募発表:2名


    デザイン・創造研究の現在から未来へ 公募件数:3

     われわれは何かを生み出し、目に見える形で表現する。DCCはそのような創発的な活動を、あるときはデザインと呼び、あるときは創造と呼んできた。長い歴史をもつデザイン研究、創造性研究であるが、幸いなことにいずれも新しいトピックが次々と生まれ、研究の拡大と進展は変わらず続いている。
     今回のOSでは、「デザイン・創造研究の現在から未来へ」をテーマに据え、今後当該研究の将来の発展に寄与すると期待される様々な研究を広く募集することにした。折しも2025年には認知科学誌の特集号として、「創造性研究の現在地図」が刊行され、創造性やその表現に関する研究の「最先端」が紹介されることとなった。われわれはこれに満足することなく、その先を見据えた議論が必要であると考える。これが本OSの主たる目的である。
     例えばデザイン研究は、これまでの「問題解決」のためのデザインから、未来に起こりうる世界自体を想像し、現在の想像とは異なる可能性を示すスペキュラティブ・デザイン(Dunne & Ruby, 2013)の思想がもたらされつつある。デザインによる異なる可能性の提案には、テクノロジー、教育、社会といった多様な角度からの議論が重要であり、認知研究もこれらと密接に関わっている。創造性研究についても、これまで一見「創造的」とは見なされにくかった個人や集団による創発的・生成的な活動が採りあげられるようになってきている(田中・荷方・石黒, in press)。また方法論の観点からも、従来の実験や調査から、より現実場面での創造的な活動に着目したフィールドワークやインタビューなどの質的手法、さらに近年は脳科学との接点や、ビッグデータ、人工知能を駆使した新たな情報科学的な展開も見られる(田中・荷方・石黒, in press)。これらの最新の動向を考えたとき、当該研究のこれからの未来はさらに多様でエキサイティングな展開が期待できる。当OSは今後の未来を感じさせるデザイン・創造研究を求め、研究にまつわる議論を行うものである。