以上の2つの実験結果から,論理的な再帰において埋め込み型の場合の処理の理解が 困難であること,その理由が単なる埋め込み構造のみならず,自分自身が呼び出される 再帰的な埋め込み構造となっているためであることが明らかになった.また,誤答の 大部分が,再帰呼び出しされた手続きを終えて,元の手続きに戻ることを忘れてしまう パターンであったことから,論理的な再帰処理がきわめて難しいことがわかった.
「元に戻り忘れ」るという誤答が典型的だった理由として,同じ手続きが再帰的に出て きたとき,それらを終えるためには,論理的には同一の手続きを2つとも「おわり」 まで進める必要があるが,「おわり」,「おわり」と2つも連続するのが直観的に 受け入れ難いことが考えられた.これは,論理的な再帰処理に必要な思考と人間の直観 のズレを表わし,再帰が人間にとって困難な課題である本質的な原因のひとつと 考えられ,興味深い問題である.
本研究からは以上のような知見が導かれたが,同時に以下のような問題点が 浮き上がった.それは,「再帰がなぜ人間にとって困難な課題であるのか」を検討する 研究目的に照らして,実験計画とその指標がやや素朴であったという点である.
実験2の段階では,いくつかの仮説をあげて,それに基づいて実験変数を設定し, 操作する必要があった.たとえば,「『元に戻り忘れ』るのは,元の手続きと複製の 手続きの区別ができないためであろう」,「再帰処理の難しさの主要な原因が ワーキングメモリの負荷によるものではないのであれば,埋め込み次数が高く なっても (手続きの呼び出し回数が2回,3回,4回,…となる), 『再帰的な埋め込み構造』の方が『非再帰的な埋め込み構造』よりも得点が 低いであろう」といった仮説があげられるであろう.
これらの仮説から,それぞれに対して,「(第3セッションの評価課題トレース時に) 元の手続きと複製の手続きの区別を強調させ,元の手続きへの戻る位置を明示するか 否か」,「埋め込み次数が高い場合での再帰的・非再帰的間の埋め込み構造の比較」 といった実験変数を設定することが可能である.
本研究から得られた結果は重要な知見と考えられるが,研究を発展させるためには, 以上のような視点を持って仮説検証的な実験を構成していくことが不可欠である.
本研究は再帰をテーマにした.再帰はまだあまり研究されておらず,それだけに研究 テーマの宝庫ともいえる.そこで,前節で述べた以外の研究の発展方向について考えて みたい.
第1は,「再帰的な情報処理過程の検討」である.たとえば,実験2から埋め込み再帰が 困難である本質的な原因が,ワーキングメモリの負荷ではなく,論理的な再帰処理に 必要な思考と人間の直観的理解のズレにあることが示唆された.しかしながら,これを 厳密に検証するには,再帰のトレースに独特に関わるワーキングメモリの負荷を何らか の方法で外的に支援して,なお再帰的な埋め込み構造の方が非再帰的な埋め込み構造 よりも難しいかを検証する必要がある.ここで独特に関わる負荷とは,再帰呼び出し 直前の全変数の状態 (本研究では削除した文字など) と戻る位置を保持し,再生する ことである.
第2は,「問題解決における再帰処理適用過程の検討」である.再帰的な処理を正しく 行なえるか否かだけでなく,再帰を用いると簡潔かつ有効に解決できる複雑な問題に 直面した場合,再帰処理による解決法をどうすれば見出すことができるのか,どう教示 をすれば再帰処理を適用して解決していくことが可能になるのかについての検討で ある.これは,プログラミングによって解決するのか,それとも人間が直接解くのかに 関わらず,認知過程の検討事項として重要であると考えられる.
第3は,「熟達化 (expertise) との関連」である.先行研究,および本研究で示された ように,再帰はアルゴリズムやプログラミングに熟達していない初心者 (novice) に とって難解な概念である.ところが,「その要点がわかってしまうと自然な表現法で あると感じる」[浪平浪平1997]ようになり,熟達者 (expert) は簡潔さと わかりやすさから再帰を好んで用いることが多いといわれる.こうした経験的知見を 考慮すると,再帰の難しさは初心者特有のもので,適切な学習と熟達化によって容易に 克服できる可能性がある.したがって,適切な学習方法,および熟達化の過程を検討 することは重要な研究方向といえるのである.
最後に,本研究で扱った論理的な再帰とは異質となるが,日常的な再帰に関する 「再帰的思考の発達心理学的研究」についても触れておきたい.たとえば,「考えて いることを考えていることを…考えている」というように,「考えていることを考えて いる」という再帰的な埋め込みの数によって発達段階が分かれているという報告が ある[Miller, Kessel, FlavellMiller, Kessel, Flavell1970,糸井糸井1982,OppenheimerOppenheimer1986].これは,心の理論におけるn次的信念の 理解と関係すると考えられる.実際に,二次的信念の理解は,
LOGOを開発したパパートが,「子供達に教えたあらゆる考え方のうちで,再帰は 特に興奮した反応を引き出すことのできる概念として際立っている」 [PapertPapert1980]と述べているように,再帰は人間にとって興味深い概念である. 今後さまざまな角度からの研究が待たれるのである.
本研究は,京都大学教育学部に提出した平成9年度卒業論文を加筆,修正したもの
である.本研究を行なうにあたって,ご指導いただきました京都大学大学院教育学
研究科子安増生教授,吉川左紀子助教授,西尾 新助手に心よりお礼申し上げます.
また,草稿をお読みくださった光華女子大学藤田哲也講師と査読者の先生方から貴重な
コメントをいただきました.LATEX原稿作成にあたっては大阪大学人間科学部
原田 章助手にお世話になりました.厚くお礼申し上げます.